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東京地方裁判所 平成6年(ワ)22435号 判決

原告

遠矢淳子

外二名

右三名訴訟代理人弁護士

村千鶴子

被告

右代表者法務大臣

下稲葉耕吉

被告

武田雄一

右両名訴訟代理人弁護士

山内喜明

被告国指定代理人

加藤裕

外五名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告らは、原告遠矢淳子に対し、各自金六一四二万二一二〇円及びこれに対する平成五年八月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、原告遠矢一光及び同遠矢美智子それぞれに対し、各自金二〇一五万二七五〇円及びこれに対する平成五年八月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告国が開設する国立習志野病院(以下「習志野病院」という。)に入院して胃癌の手術(胃の全摘術)を受けた遠矢義雄(以下「義雄」という。)が、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(Methicilln-resistant Sta-phylococcus aureus、以下「MRSA」という。なお、メチシリン以外の抗生剤にも耐性を持つ多剤耐性の黄色ブドウ球菌についても、以下同様の略語を用いる。)腸炎に罹患し、術後五日目に死亡したことについて、義雄の相続人である原告ら三名が、被告国に対しては診療契約の債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づき、義雄の治療に当たった担当医の一人である被告武田雄一(以下「被告武田」という。)に対しては不法行為に基づき、損害賠償を請求した事案である。

争点は、①義雄の死亡は、MRSA腸炎に罹患したことによるものであるか、②「①」が肯定される場合、MRSAの感染経路はいかなるものか、③被告らに、MRSA腸炎の予防、診断及び治療並びに術後管理について過失があるか、④被告らに説明義務違反があるか、である。

一  前提事実(証拠を摘示しない事実は、当事者間に争いがない。)

1  原告淳子は義雄の妻であり、原告一光及び同美智子は義雄の両親である。

被告国は、千葉県習志野市泉町一丁目一番一号において、習志野病院を開設して医療業務を営んでおり、被告武田は同病院に勤務する医師で、義雄の担当医の一人として同人の治療に当たっていた。なお、義雄の治療には、習志野病院の外科医数名が担当医として関わっていた(以下、右担当医数名を、被告武田を含めて「被告武田ら」という。)。

2  義雄は、平成五年七月二二日(以下、平成五年については年を省略して「七月二二日」のようにいう。)、胃癌の手術のために習志野病院に入院し(診療契約の締結)、諸検査を受けた後、八月六日、被告武田らによって胃の全摘術を受けた。手術は成功であった。しかし、義雄は、術後MRSA腸炎に罹患し、同月一一日午後一〇時、急性呼吸不全を直接死因として死亡した(乙第一号証の二)。

二  原告らの主張

1  主位的主張

(一) 義雄が罹患したMRSA腸炎と死亡との関係

義雄は、術後MRSA腸炎に罹患した後、続発症状が進行した結果、循環血液量減少性ショックに陥り、さらに多臓器不全に陥った結果、死亡した。

(二) MRSAの感染経路

義雄が罹患したMRSA腸炎は、(1)習志野病院内に存在していたMRSAに術後感染した(以下「院内感染」という。)ことによるものであるか、(2)術後に投与された第三世代セフェム系抗生剤であるモダシンによって、義雄が保菌していたMRSAが選択され、耐性化したことによるものである。

(三) 被告武田らの過失

(1) MRSA腸炎の予防に関する過失

① MRSAの院内感染防止対策を怠った過失((二)(1)の場合)

平成五年八月当時、MRSAの院内感染は社会問題化しており、その防止対策として、サーベイランス(疾病監視)システムの強化、院内感染対策委員会などの設置と適正な運営、伝播防止対策、保菌者対策、手指の消毒法、カテーテルの管理、排泄物などの汚物の取り扱い、病室環境の消毒法及び職員への教育などに対する配虜が必要不可欠であるとされていたのであるから、被告武田らには、これらの院内感染防止対策を講じるべき注意義務があった。

しかし、習志野病院においては、サーベイランスシステムもなく、院内感染防止委員会も実質的には機能しておらず、職員に対する院内感染防止についての教育システムも構築されていなかった。また、患者が術後に収容される観察室は、入室制限がなく、その出入口には一般病室と同様の扉があるだけで、マットも手洗用設備もなかったし、医療従事者も、ガウンテクニックを用いずにそのままの着衣で手洗いもせずに出入りしていた。したがって、被告武田らは、前記MRSAの院内感染防止対策を講じるべき注意義務を怠っていたというべきである。

② 術後に投与する抗生剤の選択に関する過失((二)(2)の場合)

MRSA腸炎の発症を予防するためには、術後に予防のために投与する抗生剤を適正に選択することが重要であるところ、第三世代セフェム系抗生剤は、グラム陽性球菌には効果が低く、耐性の誘導性も高く、MRSA腸炎を発症させる危険性が高いのであるから、被告武田らとしては、術後に投与する抗生剤として、第三世代セフェム系抗生剤ではなく、第一世代又は第二世代セフェム系抗生剤を選択すべき注意義務があった。

しかし、被告武田らはこれを怠り、義雄に対し、術後長期間にわたって漫然と第三世代セフェム系抗生剤であるモダシンを投与した。

(2) MRSA腸炎の診断及び治療に関する過失

義雄は、八月八日から高熱、頻回の下痢、腹部膨満及び腹痛などというMRSA腸炎の典型的な症状を示していた。よって、被告武田らとしては、八月八日から遅くとも同月九日までの間にMRSA腸炎を疑い、速やかに下痢便及び胃ゾンデなどからの排液について緊急の菌培養検査を行い、バンコマイシンの経口投与(それが困難な場合は腸管への投与)を行うとともに、循環不全を避けるべく、適切な輸液処置を講じるべき注意義務があった。

しかし、被告武田らはこれを怠り、八月一〇日にショックを起こした義雄に対してバンコマイシンの経静脈投与をするまで、MRSA腸炎の徴候を見落とし、何らの適切な処置も行わなかった。また、MRSA腸炎の場合、バンコマイシンは経口投与すべきであり、経静脈投与のみでは治療効果は期待できないので、右処置も不適切である。

(3) 術後管理に関する過失

被告武田らには、義雄の術後管理について、以下の過失がある。

① 八月九日から同月一一日に義雄が死亡するまでの間、腹部レントゲン検査、血液培養検査、喀痰培養検査及びエンドトキシンの測定などを行わなかった。

② 八月一〇日午前中に義雄がショックを起こしたとき、看護婦は、被告武田に対する報告をしなかった。また、看護婦から連絡を受けた別の医師は、ごく近い場所にいたにもかかわらず到着が遅れ、それまで看護婦に任せきりにしていた。

③ 八月一〇日、義雄は高熱、頻脈、尿量低下、腎機能低下及び低カリウム血症という症状であったのに、心電図検査を行わず、また、解熱剤投与以外、何ら対処療法をしなかった。

④ 八月一一日、膵炎を疑った時点で何ら検査を行わなかった。

⑤ 八月一一日、呼吸不全を疑った時点で、胸部レントゲン検査及び動脈ガス分析を行わなかった(呼吸不全が重症なら、人工呼吸管理に移行することができた。)逆に、鎮静剤であるホリゾン(重症患者には慎重投与、ショック時には禁忌とされ、副作用として血圧低下及び循環性ショック等がある。)を投与して、義雄を放置した。

(四) 因果関係

(三)記載の各過失により、義雄は死亡した。

(五) 責任原因

被告国は、義雄との間の診療契約の当事者であり、被告武田らはその履行補助者であるから、被告国は、被告武田らの右各過失について債務不履行責任を負う。また、被告国は、被告武田らの使用者であるから使用者責任を負い、被告武田自身は、不法行為責任を負う。

(六) 損害

(1) 義雄の逸失利益

① 義雄(昭和三四年一一月一九日生)は、昭和五七年三月に明治大学法学部を卒業した後、同年四月からマツダ中販株式会社に勤務しており、死亡当時の年収は金六八八万七〇三九円であった。同人が六七歳まで労働可能として、ライプニッツ方式で中間利息を控除し、生活費控除を四〇パーセントとして計算すると、その逸失利益は金六六九一万六五〇〇円となる。

② 原告らは、①記載の義雄の逸失利益相当額の損害賠償請求権について、原告淳子が三分の二の金四四六一万一〇〇〇円を、原告一光及び同美智子が各六分の一の金一一一五万二七五〇円をそれぞれ相続した。

(2) 原告淳子の損害

原告淳子の損害は、次の①ないし④の合計金六一四二万二一二〇円である。

① 義雄の逸失利益の相続分

金四四六一万一〇〇〇円

② 慰謝料 金一〇〇〇万円

③ 葬儀費用金四八一万一一二〇円

④ 弁護士費用 金二〇〇万円

(3) 原告一光及び同美智子の損害

原告一光及び同美智子の損害は、左記①ないし③の合計各金二〇一五万二七五〇円である。

① 義雄の逸失利益の相続分

各金一一一五万二七五〇円

② 慰謝料 各金八〇〇万円

③ 弁護士費用 各金一〇〇万円

2  予備的主張

(一) 医師及び医療機関(以下「医師等」という。)の注意義務

医師等は、診療契約上、又は人の生命を預かる職にある者として、当時の医療水準に照らし、最善の診療を行うべき注意義務を負っており(これには、手術の前に、当該手術の必要性及び危険性について患者及びその家族に対して説明することも含まれる。)、患者も右の程度のレベルの診療に期待している。

したがって、医師等が右注意義務を怠り、患者が期待していたレベルの診療を行わなかった場合には、発生した結果との間に因果関係が認められなくても、それ自体で診療契約の債務不履行又は不法行為に該当するというべきである。

本件においては、被告武田らには以下の注意義務違反(過失)がある。

(1) MRSA腸炎の予防、診断及び治療並びに術後管理に関する過失

1(三)記載のとおりである。

(2) 説明義務違反

被告武田らには、診療契約上、又は医師として、義雄の胃癌の手術を行うに当たり、同人及び原告らに対し、その手術の必要性及び危険性について説明すべき注意義務がある。

しかしながら、平成五年当時、胃癌の手術後にMRSA腸炎が発生する確立が比較的高いことが消化器外科における常識になっていたにもかかわらず、被告武田らは、義雄のMRSA腸炎の併発の危険性に関する説明を全く行わなかった。

(二) 責任原因

被告国は被告武田らの右各注意義務違反(過失)について債務不履行責任を負う。また、被告国は使用者責任を負い、被告武田自身は不法行為責任を負う。

(三) 損害

1(六)記載のとおりである。

三  被告らの主張

1  主位的主張に対して

(一) 義雄が罹患したMRSA腸炎と死亡との関係について

義雄は、八月一〇日午前中にショックを起こしたものの、同日夕刻には回復し、同月一一日には更に全身状態も良くなりつつあったのであるから、義雄の直接死因である急性呼吸不全の原因はMRSA腸炎ではない。

(二) MRSAの感染経路について

義雄が罹患したMRSA腸炎が院内感染によるものであることは否認する。MRSAは常在菌である上、義雄が入院した七月二二日から同人が死亡した八月一一日までの間の習志野病院の外科の入院患者におけるMRSA陽性患者の薬剤感受性パターンは、義雄のそれとは異なるのであるから、義雄のMRSA腸炎が、習志野病院内に存在したMRSAによるという確率は極めて低い。

(三) 被告武田らの過失の不存在

(1) MRSA腸炎の予防に関する過失の不存在

① MRSAの院内感染防止対策について

習志野病院におけるMRSAの院内感染防止策には、当時の医療水準に照らして不適切な点はなかったから、原告らの主張は失当である。

② 術後に投与する抗生剤の選択について

被告武田は、義雄に対し、八月六日の午後から、連日、一日二回各一グラムのモダシンを投与したが、MRSAは常在菌である上、MRSA腸炎は、第三世代セフェム系抗生剤の投与によってだけでなく、第一世代や第二世代のセフェム系抗生剤の投与によっても発症し、問題は、セフェム系やペニシリン系等の抗生剤を長期間にわったって使用することにあるものであるから、被告武田らにおいて、術後に投与する抗生剤として、第三世代セフェム系抗生剤ではなく、第一世代又は第二世代のセフェム系抗生剤を選択すべき注意義務はなかった。また、そもそも、八月九日の段階で、MRSA腸炎が発症したとは考えられない。

被告武田は、一般的に上部消化管の手術後は術後感染が起こりやすい上に、本件手術の場合は腹腔内で胃腸を開いたために、胃腸内の細菌が腹腔内に散乱したおそれもあることから、大腸菌等のグラム陰性桿菌に対してより優れた効果を持つ第三世代セフェム系抗生剤の一つであるモダシンを使用したものであり、妥当な措置である。

(2) MRSA腸炎の診断及び治療に関する過失の不存在

MRSA腸炎は、発熱、頻回の下痢及び腹部膨満などを特色とするものであるところ、義雄に四〇度前後の高熱が認められたのは八月八日午後六時ころからであり、頻回の下痢が認められたのは同月九日の午後以降である。また、発熱については大手術後に一般的に見られる程度のものである。

被告武田らは、同月九日深夜の水様便に血性の粘液が認められたため、MRSA腸炎を疑い、同月一〇日には便の細菌検査を行うとともに、同日からバンコマイシンの経静脈投与を開始しているし、同月九日深夜までは水の経口投与をし、同月一〇日以降はそれに加えて各種輸液剤を投与している。なお、バンコマイシンの経口投与は、MRSA腸炎のみに対する治療であるところ、義雄の場合、敗血症へ進展している可能性も考えられたので、経静脈投与をしたものである。

したがって、被告武田らにおいて、義雄のMRSA腸炎との診断が遅れ、治療が不適切だったということはないから、MRSA腸炎の診断及び治療に関する過失はない。

(3) 術後管理に関する過失の不存在

被告武田らの術後管理について、過失となるようなものはなかった。

(四) 因果関係、責任原因及び損害について

いずれも争う。

2  予備的主張に対して

(一) 注意義務違反(過失)の不存在

(1) MRSA腸炎の予防、診断及び治療並びに術後管理に関する過失の不存在

1(三)記載のとおりである。

(2) 説明義務違反の不存在

本件において、胃癌の手術の内容及びその危険性に関する説明の他に、手術に際して併発する可能性もあるというに止まる感染症について逐一説明すべき義務があるとは到底いえないから、被告武田らには原告らが主張するような説明義務はない。

(二) 責任原因及び損害について

いずれも争う。

第三  当裁判所の判断

一  義雄の死亡に至るまでの経緯

甲第二九、第三〇、第四〇号証、乙第一号証の一、二、第五号証、被告武田本人尋問の結果(以下「被告武田本人」という。)、鑑定人岩井重富及び同品川長夫による各鑑定の結果(以下それぞれ「岩井鑑定」、「品川鑑定」という。)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  八月五日(手術日の前日)まで

義雄は、六月ころから空腹時に胃に痛みを感じるようになったので、同月二八日に千葉県八千代市所在のかとう内科(加藤斉之医師)を受診したところ、同月三〇日、初期の胃癌という診断を受け(右診断によれば、細胞の病理組織検査によって悪性の細胞が見付かっていることなどから、早期の胃癌ではないかとのことであった。)、習志野病院を紹介された。

義雄は、七月一二日、習志野病院の外科外来を受診し、同月一五日には消化管のレントゲン検査を受け、胃癌に罹患していると判断されたため、同病院に入院して手術を受けることを勧められた。

義雄は、同月二二日に習志野病院に入院し、その後、尿、血液、心電図、肺活量、レントゲン、超音波及びCTスキャン等の検査を受けた。被告武田らは、右諸検査の結果、義雄の胃癌は早期のものであると判断し、八月六日に手術をすることにした。そして、被告武田は、同月四日、原告淳子に対し、術前の診断によれば義雄は早期の胃癌であり、胃の三分の二を摘出する手術をすること、早期胃癌の五年生存率は九五パーセントくらいであることなどを説明するとともに、術後の一般的な合併症である肺炎や膵炎などにも言及した。さらに、原告淳子の承諾を得て、義雄にも同様の説明を行った。

なお、義雄は、入院した七月二二日に外出をし、同月二三日から二六日まで外泊をし、同月二七日に外出をし、同月三〇日から八月一日まで及び同月三日から同月四日までそれぞれ外泊をした。

2  八月六日(金曜日)

義雄は、午前九時〇五分、手術室に入った。午前九時一〇分に麻酔が開始され、午前九時二九分、被告武田らが手術に着手した。被告武田らが胃を切除したところ、義雄の癌の広がりは予想より広く、かつ深く浸潤していたことが分かったので、同被告らはこれを進行癌と判断し、手術を胃の全摘術に変更するとともに、広範囲にわたるリンパ節の郭清を実施した。そして、腹腔内で胃腸を開いたことに対する汚染対策として、生理的食塩水による洗浄を施行し、ドレーンを挿入した後、午後〇時三七分に手術を終了し、午後〇時四五分には麻酔を終了した。義雄は、覚醒を確認された後、午後一時、ナースステーションの隣にある観察室に収容された。このとき、義雄は腹部の創痛を訴えていた。

被告武田は、術後、原告らに対し、摘出した義雄の胃を示しながら、胃の三分の二を切除する予定だったが、癌が予想よりも大きく、かつその進行度も強かったので、胃の全摘術に変更したこと、広範囲にわたるリンパ節の郭清を行ったこと、いわば早期癌と進行癌の中間だったが手術は成功したこと、及び、手術後抗癌剤を使用することなどを説明した。

術後の義雄の状態には、特に異常は認められなかった。午後一時から、第三世代セフェム系抗生剤であるモダシンの投与(一回当たり一グラムずつ、一日二回)が開始され、右投与は八月九日まで継続された。また、午後二時三〇分、抗癌剤であるマイトマイシンC一六ミリグラムが投与された。

3  八月七日(土曜日)

義雄の状態には特に異常は認められなかった。午後二時四五分ころ、マイトマイシンC一〇ミリグラムが投与された。

なお、同日及び翌八月八日は、被告武田は義雄の診察をせず、当直医が診察に当たった。

4  八月八日(日曜日)

義雄の状態には特に異常は認められなかったが、午後から体温が上がり始め、三八度七分ないし三九度七分を示した。

午後八時ころには排ガス及び排便があった。右便は水様便で、それ以後の便も同様のものであった。

5  八月九日(月曜日)

早朝、術後初めて血液検査が行われたが、正常値であった。

午前中、義雄は、それまで挿入されていた胃管を抜去されるとともに、経口水分を許可され、一般病室である一〇八号室(四人部屋)に移された。義雄の熱は、午前一〇時三〇分ころいったん下がったものの、午後には再び三九度以上になった。

午後二時ころ、多量の水様便があり、午後三時までの間に五回の水様便があった。下痢が激しいため、オムツが付けられ、頻繁に取り替えられた。義雄は、その後、午後八時過ぎから、粘性を伴った茶色ないし黄色の水様の排便を繰り返し、腹部の張りを訴えていた。

6  八月一〇日(火曜日)

義雄の下痢及び発熱は続いていた。午前五時、義雄は、体温39.7度、脈拍一二〇回/分、最高血圧六〇であり、顔色不良、四肢冷感が認められ、ショック状態となったため、ショック体位がとられた。脱水状態であり、のどの渇きを訴えていた。午前五時一五分には体液剤であるヴィーンD五〇〇ミリリットルが、午前六時には血漿分画製剤であるプラスマネート・カッター二五〇ミリリットルが、それぞれ全開で点滴静注された。これにより、六時三〇分、義雄の顔色は少しは良くなった。

しかし、午前九時少し前になっても、義雄の最高血圧は六四ないし六八であり、ショック状態が続いていたため、被告武田らは、午前九時一五分、義雄を個室である一〇五号室に移した上で、中心静脈路を確保し、昇圧剤であるカルニゲン及びカタボン、抗膵炎剤であるミラクリット、抗ショック剤及び新鮮凍結血漿等を投与した。午前九時及び午前一一時三〇分には、鎮静剤であるホリゾン各四分の一アンプルが投与された。被告武田らはMRSA腸炎を疑い、便の細菌検査及び生化学検査を実施するとともに、抗生剤であるバンコマイシン0.5グラムを経静脈投与した。また、血液検査及び血液ガス分析検査を行った。血液検査の結果、白血球数は三五〇〇個であった。

一方、義雄が一〇五号室に移ったころから、原告らに対し、洗濯は必ず自宅の洗濯機で行い、最後に熱湯をくぐらせること、病室を出入りするときには必ずスプレー式の消毒液で消毒するよう指示が出された。また、昼ころ、被告武田は、原告淳子に対し、術後のショック状態であること及び最悪の状況もあり得ることを説明した。

午後になって義雄の血圧は徐々に回復し、深夜には体温も下熱傾向となったが、水様便は続いた。血液ガス分析検査及び胸部レントゲン検査の結果は、いずれも良好であった。

7  八月一一日(水曜日)

義雄は、午前中までは下熱傾向を維持するとともに、最高血圧もほぼ一〇〇台以上を維持しており、同人も、前日よりはだいぶ楽になった旨話をしていたが、水様便は続いた。

被告武田らは、義雄の血液検査の結果、アミラーゼの値が三四〇ないし四三四と高くなっていたので、膵炎を疑い、また、血小板が八万三〇〇〇個に下がっていたため、播種性血管内凝固症候群(disseminated intravascular-co-agulation、以下「DIC」という。)を疑った。

義雄が不眠を訴えて落ち着かない様子だったので、午前一一時一〇分及び四五分、ホリゾン各二分の一アンプルが投与された。

被告武田は、夕方、原告淳子に対し、義雄の容態は前日よりは少しはいいが、楽観はできない旨を説明した。

午後七時一五分、ホリゾン三アンプルの投与(毎時二〇ミリリットルのペース)が開始された。午後七時四五分ころ、義雄はショックを起こし、これに気づいた原告淳子が看護婦に伝え、被告武田らが駆け付け、各種処置を施したが、義雄は呼吸不全から心停止を来し、直ちに心肺蘇生を行って、いったんは血圧も上昇したが効果なく、午後一〇時、急性呼吸不全により死亡した。

8  その後

八月一三日、同月一〇日に実施した便の細菌検査の結果が出た。MRSAが(1+)という結果であった。

二  争点に対する判断

1  主位的主張について

(一) 義雄が罹患したMRSA腸炎と死亡との関係について

(1) 義雄がMRSA腸炎に罹患したいたことは争いなく、また証拠(乙第一号証の二、岩井鑑定、品川鑑定、甲第四〇号証(名古屋大学教授武澤純による私的鑑定書)、乙第一号証の二及び被告武田本人)上も明らかであるが、これが義雄の術後の経過にいかなる影響を与え、死亡という結果が発生したのかについては、必ずしも明らかではない。

すなわち、岩井鑑定は、術後MRSA腸炎に罹患し、MRSA自体のエンテロトキシン(ブドウ球菌が増殖時に産生する耐熱性の菌体外毒素)若しくはトキシックショックシンドロームトキシン―1又は腸管内の細菌のエンドトキシン(菌体内毒素)の血中への移行により、エンドトキセミアとなり、感染性(細菌性)ショックに陥り、DICが発生して死亡したとしている。これに対し、品川鑑定は、義雄の術後経過に影響したと考えられる要因として、MRSA腸炎以外に、クロストリジウム・ディフィシレによる偽膜性腸炎の合併、縫合不全、術後膵炎、マイトマイシンの投与による下痢などを掲げながら、確定的な判断はしていない。また、甲第四〇号証には、「義雄はMRSA腸炎を併発し、一時循環血液量の低下によるショックを起こした。ショックに関しては大量の蛋白製剤の投与で一時回復が見られたが、MRSA腸炎の進行により、循環血液量は再び低下し、腎不全、低カリウム血症は進行した。八月一一日午後七時、突然白色粘調痰が多くなり、鎮静剤投与による意識レベルの低下のため、喀痰の排泄が困難となり、低酸素血症のため心停止に至った、又は低カリウム血症による致死性不整脈の発生により死亡した。」という内容の記載がある。そして、被告武田自身は、MRSA腸炎に膵炎が加わった旨供述している。

(2) 以上のように、専門家の間でも、本件におけるMRSA腸炎の術後経過への影響及び死亡の結果との関係についての詳細な判断は一致しておらず、いずれとも確定できない。しかしながら、少なくとも、MRSA腸炎が術後の経過を左右した最大の原因ということはできる(品川鑑定)ものであるから、これと義雄の死亡との間に因果関係が存在するものと認めるべきである。

(二) MRSAの感染経路について

(1) 品川鑑定によれば、以下の事実が認められる。

① 一般に、腸炎を発症させるMRSAの侵入経路としては、入院前からMRSAを保菌していた、入院から手術までの間に病院内のMRSAが侵入し定着した、手術時に病院内のMRSAが侵入した、術後早期に病院内のMRSAが侵入した、の四つが考えられる。

② 医療従事者の四パーセントから一〇パーセントにはMRSAが定着しており、の経路で侵入して定着し、手術を契機として感染症を発症することが最も多いと考えられているが、一般人にもそれより低い割合ではあるがMRSAが定着していると考えられることからすると、の経路もありうる。一方、の経路は、現在の消毒法の進歩などを考えると極めて少ないと考えられ、の経路についてもその数は少ないと考えられる。

(2) 右の一般的傾向からすると、本件で義雄のMRSA腸炎を発症させたMRSAは、の経路で義雄に侵入した可能性が最も高く、次いでの経路の可能性ということになる。しかしながら、前認定のとおり、義雄は、七月二二日から八月四日の間に複数回の外出及び外泊をしており、また、乙第一号証の二、第六号証の一、二、第七号証の一ないし三及び被告武田本人によれば、七月から八月にかけて、習志野病院外科病棟には義雄以外に二名のMRSA陽性患者がいたが、右二名のMRSAと、義雄の便から検出されたMRSAとでは、薬剤感受性が異なるという検査結果が出ていることが認められる。右各事実は、の経路による侵入の可能性を否定する方向に働くが、習志野病院内に存在していたすべてのMRSAの薬剤感受性が検査されたわけではないから、その可能性がないとまではいえない。

(3) 以上によれば、義雄のMRSA腸炎を発症させたMRSAの侵入経路を特定すること不可能であるといわざるを得ない。

これに対し、岩井鑑定は、義雄の罹患したMRSA腸炎が院内感染によるものであるとしているが、その根拠として掲げているのは、①当時はMRSA感染症(MRSA腸炎を含む。以下同じ。)が全国的に蔓延し大問題となっている時期でもあり、そのように考えるのが最も自然であること、②前記薬剤感受性の検査結果から、義雄のMRSA腸炎の原因がその二名の患者が保菌していたMRSAであることは否定できるとしても、習志野病院内のMRSAでないとはいえないこと、③日本大学医学部病院において、術前に鼻咽喉のMRSAが陰性であったものが術後に陽性となった症例や、菌量が増加した症例があることであるが、右に掲げられた根拠のみからでは、義雄のMRSA腸炎が院内感染によるものであると認定するには未だ不十分であるといわざるを得ない。

(三) 被告武田らの過失の有無

以上のとおり、義雄のMRSA腸炎を発症させたMRSAの侵入経路の特定は不可能であるが、習志野病院入院中におけるMRSA腸炎の罹患が義雄の死亡の原因となっていることは認められるのであるから、次に、被告武田らの過失の有無について検討する。

(1) MRSA腸炎の予防に関する過失について

① MRSAの院内感染防止対策を怠った過失について

被告武田本人によれば、習志野病院には院内感染対策委員会があり、院内サーベイランスシステムによるMRSA月報も出されていることが認められ、これについて、品川鑑定は、他の病院と同程度の感染対策が講じられていたといえるとしている。また、前認定のとおり、義雄のMRSA腸炎は、八月一一日に行った便の細菌検査の結果が同月一三日に出たことで確定診断となったものであるが、同月一〇日、被告武田らがMRSA腸炎を疑った段階で、原告らに対し、洗濯は自宅の洗濯機で行い、最後に熱湯をくぐらせること、病室を出入りする時にはスプレー式の消毒液で消毒するよう指示が出されている。このように、MRSA腸炎の疑いの段階で右のような感染対策が採られていることも、習志野病院における院内感染防止対策が普段から相当程度実践されていることの表れであると考えられる。

また、原告らは、習志野病院の観察室について、院内感染防止対策の懈怠として、観察室への入室制限がないこと、マットや手洗用設備のないこと、医療従事者もガウンテクニックを用いずにそのままの着衣で手洗いもせずに出入りしていたことなどを指摘しているが、品川鑑定が、一般に、胃の全摘術の後に収容される病室においては、手洗い、ガウンテクニック及び粘着マットは必ずしも必要とされるものではないとしていることに照らし、その指摘事実は過失を構成するものとはいえない。

以上からすると、被告武田らにおいて院内感染防止対策を怠った過失はないというべきである。

② 術後に投与する抗生剤の選択に関する過失について

ア 品川鑑定は、術後感染症の予防のために投与する抗生剤の選択基準として、術後感染症の起炎菌となりうる術中汚染菌に対して抗菌力を有する薬剤であること、汚染菌の発育阻止可能な濃度が目的部位で達成される薬剤であること、感染予防効果を上回る副作用のない薬剤であること、常在菌叢を乱さない薬剤であること、術後感染症が発症した場合、その治療のための薬剤は残しておくことを掲げ(甲第三七号証にも同様の基準が示されている。)、右基準を、本件で、被告武田らが第三世代セフェム系抗生剤であるモダシンを、一日二回各一グラムを投与したことについて、以下のとおり当てはめている。

については、一般に術後感染の予防において目標とする細菌は、ブドウ球菌、大腸菌、クレブシエラ属、プロテウス属及びバクテロイデス属などであるが、モダシンは、これらの細菌に加えて緑膿菌も適応菌種とされており、モダシンの選択は適切であった。なお、第三世代セフェム系抗生剤は、ブドウ球菌に対する抗菌力が劣ることが指摘されているが、モダシンは、他の第三世代セフェム系抗生剤とは異なり、感染症の治療においてブドウ球菌(黄色ブドウ球菌も含む。)が有効菌種として認められているから、感染予防としても有効と推定してよい。については、モダシンの一日当たり一グラムを二回の投与は、中程度感染症の治療に効果があるとされる投与量であり、妥当である。については、問題となる報告は見られない。について、術後感染症が発症した場合の治療薬としては、カルバペナム薬であるチエナム(イミペナム)があった。

そして、品川鑑定は、被告武田らがモダシンを一日二回各一グラムを投与したことは不適切であるとはいえないとしている。

イ これに対し、甲第一号証の三、四、第二号証の一、二、第三号証の一、二、第五、第九、第一〇号証、第一二号証の一、二、第一三ないし一七号証、第二〇号証の一ないし六、第二四ないし二七号証、第三二号証の一、二、第三三号証の一ないし四、六、八、九、第三四号証の二、三、第三六号証の四、五、第三七、第三八、第四〇号証、乙第一号証の一、二、四ないし六、一一には、MRSA感染症が増加した背景として、術後感染症の予防のために第三世代セフェム系抗生剤を頻用(乱用)したことが挙げられること、MRSA感染症が術後に発症した症例において投与されていた抗生剤としては、第三世代セフェム系抗生剤が多く、第一世代及び第二世代セフェム系抗生剤並びにペニシリンは少なかったこと、第三世代セフェム系抗生剤の術後投与を止めるなどしたところ、MRSA感染症の発症が減少したこと、及び、第三世代セフェム系抗生剤はグラム陰性桿菌には広い抗菌スペクトルを示すが、グラム陽性球菌に対する効果は第一世代及び第二世代セフェム系抗生剤に比べて劣り、ブトウ球菌をはじめとするグラム陽性球菌の選択的な増殖を助長することが予想されるので、術後に投与する抗生剤としては、第三世代セフェム系抗生剤は不適で、第一世代又は第二世代セフェム系抗生剤が適応であることなどの記載がある。

しかしながら、甲第一号証の三、四、第二〇号証の一、二及び乙第八号証によれば、第一世代又は第二世代セフェム系抗生剤を使用した場合でもMRSA感染症が発症する危険があることが認められ、岩井鑑定及び品川鑑定によれば、本件において、術後に第一世代又は第二世代セフェム系抗生剤を投与していたとしても、義雄のMRSA腸炎を回避できたとはいえないことが認められる。そして、岩井鑑定は、術後感染症の予防のために第三世代セフェム系抗生剤を用いた場合、第一世代又は第二世代セフェム系抗生剤を用いた場合に比べてMRSA感染症が発症する可能性は高いと推定はできる、と前記各書証の記載事項と同様のことを指摘しながらも、胃全摘術後の肺炎及び腹腔内感染の予防のために同剤を用いている施設がないとはいえないこと、同剤は術後感染症発生時には多くの施設で用いられている現状を考慮し、宿主条件によっては同剤が予防投与として用いられる場合もあり得るとし、被告武田らがモダシンを選択したことについて、「徹底的に非難されるべきものとは思われない。」と結論づけている。

ウ 以上の諸点を考慮すると、被告武田らにおいて、術後に投与する抗生剤として、第三世代セフェム系抗生剤ではなく、第一世代又は第二世代セフェム系抗生剤を選択すべき注意義務があったということはできない。

したがって、被告武田らにおいて、術後に投与する抗生剤の選択に関する過失はないというべきである。

(2) MRSA腸炎の診断及び治療に関する過失について

① 八月八日にMRSA腸炎と診断しなかったことについて

岩井鑑定などによれば、MRSA腸炎の症状は、頻脈を伴う高熱、血圧低下、頻回の下痢、イレウス様症状などである。そして、前認定のとおり、義雄は、八月八日午後から三八度七分ないし三九度七分の発熱があり、午後八時ころに術後初めての排ガス及び排便があったが、それは水様便であり、それ以後も水様便が続いていた。

しかし、被告武田本人によれば、発熱は一般的な術後の症状の一つであることが認められ、下痢についても、品川鑑定によれば、MRSA腸炎による下痢と術後の一過性の下痢との判別は困難であるということが認められる。

したがって、同日の義雄の症状から、直ちに同人をMRSA腸炎と診断することはできなかったというべきであるから、被告武田らが同日中に義雄のMRSA腸炎を疑わなかったことをもって注意義務違反とすることはできない。

② 八月九日にMRSA腸炎と診断しなかったことについて

前認定のとおり、義雄の水様便は同日も続き、午後二時から午後三時までの間に五回にわたって多量の水様便があり、午後八時からも水様便が繰り返されている。義雄の右症状に照らし、品川鑑定は、同日中にMRSA腸炎又はクロストリジウム・ディフィシレによる偽膜性腸炎を疑うのが平均的であるとしている。

しかしながら、同鑑定は、MRSA腸炎では純培養状にMRSAが認められることが多いとされているところ、八月一〇日の便の細菌検査の結果は、バンコマイシンによる治療が行われていないにもかかわらず、(1+)というもので、グラム染色を施行したとしても診断に十分な数のグラム陽性球菌が認められなかったと推定されるほど菌数が少ないというものであったことを指摘し、仮にその前日の同月九日に便の細菌検査を行ったとしても、便の検鏡ではMRSA腸炎が診断できなかったか、あるいは否定される可能性があったとしている。品川鑑定の右指摘を考慮すると、同月九日に義雄のMRSA腸炎を疑うのが平均的であり、被告武田らにおいて、これを疑わなかったことは「平均的」ではなかったことになるが、結果として、検査をしたとしても、MRSA腸炎を診断できなかったか否定される可能性があったと認められるから、被告武田らが同日中にMRSA腸炎と診断しなかったことをもって、注意義務違反があるとはいうことはできない。

③ バンコマイシンを経口投与しなかったことについて

前認定のとおり、被告武田らは、八月一〇日の午前中にバンコマイシンを経静脈投与しているが、この点について、原告らは、経口投与すべきであったと主張する。そして、甲第一九、第三九号証には、ブドウ球菌性腸炎に対しては、バンコマイシンを非経口的に投与しても有用性を示さない旨の記載があり、岩井鑑定及び甲第四〇号証にもその旨の指摘がある。

しかし、品川鑑定が、被告武田らがバンコマイシンを経口投与せずに経静脈投与した理由として、縫合不全が疑われたから、嘔吐があったから(乙第一号証の二によれば、右事実は認められる。)、及び敗血症に進展している可能性があったからという三つの理由を掲げ、経口投与ではなく、経静脈投与でもやむを得なかったと結論づけていることからすると、被告武田らにおいて、バンコマイシンを経口投与した方がより良かったとは考えられるものの、経口投与せずに経静脈投与したことをもって、注意義務違反とまではいうことはできない。

④ したがって、被告武田らにおいて、MRSA腸炎の診断及び治療に関する過失はなかったというべきである。

(3) 術後管理に関する過失について

原告らは、術後管理の過失として五点を主張しているが、それらを被告武田らが実践していれば、より適切な術後管理になったであろうことは否定できず、原告らの主張1(三)(3)②(八月一〇日午前中に義雄がショックを起こしたときの対応)については、品川鑑定も診察までの時間が長すぎると指摘しており、適切な対応とは言い難いものであるが、結局血圧は回復していること、同⑤(ホリゾンの投与)については、品川鑑定が、確かに厳密な適応(甲第七号証の一、二参照)からは離れるが状況により許される治療法であるとしていることなどからして、その余の指摘も含めて、その実践がなかったことをもって、いずれも診療契約の債務不履行又は不法行為を基礎づける注意義務違反とまではいうことのできないものであり、その主張は理由がない。

(四)  以上のとおり、被告武田らの対応ないし行為は、一部十全でない点は認められるものの、債務不履行又は不法行為の責任を負わせるまでの過失は存在しないというべきである。

したがって、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの主位的主張は理由がない。

2  予備的主張について

(一) MRSA腸炎の予防、診断及び治療並びに術後管理に関する過失の有無

1で判断したところと同様である。

(二) 説明義務違反について

被告武田らに、診療契約上、又は医師として、義雄の胃癌の手術を行うに当たり、同人及び原告らに対し、その手術の必要性及び危険性について説明すべき注意義務があることは、原告らの主張するとおりである。

しかし、右説明義務の内容として、術後における合併症の危険性が含まれるとしても、それは、患者が手術を受けるか否かを判断できる程度のもので足りるから、特にMRSA腸炎に関する説明をする義務があるとまではいえないところ、前認定のとおり、被告武田は、義雄及び原告淳子に対し、合併症についての一通りの説明をしているのであるから、説明義務違反はないというべきである。

(三) 以上から、その余の点について判断するまでもなく、原告らの予備的主張も理由がない。

第四  結論

よって、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山﨑恒 裁判官見米正 裁判官品田幸男)

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